7月の終わりからダイエット目的で食事習慣と運動習慣を見直して、せっせと毎日取り組んできた。
と言ってもルールは毎日記録する事だけにとどめた。
何と言ってもルール嫌いの自分が自分にルールを課したところで続くわきゃあ無いと確信があった。
すごく苦痛なのは、食べ物は足りてる、栄養バランスもまぁまぁ良し、でも食べたい、みたいな日が何日かあること。
刺激を欲しているんだろうな、これって。全部が全部じゃないだろうけど、お出かけして羽目を外した翌日にそういう食べたい欲が続く。
ただそれを一時的に満たしたところで次の食べたい、が来る。
ちょっと話が離れるが、価値観に従って行動を起こす時、それこそ自分の真実が露呈する時だから当然大きな感情のうねりみたいな強い、自分を後押しする何かが起きるものだと思っていた。
でも最近、この食欲の波を見ていて思うのは、刺激というのは中毒に近い。
ヘルシーではない。
そして価値観って自分の生きる道筋だと思うのだが、自分を生きることは価値観を体現することだから、もし自分を生きたいと自分が願うなら、刺激を追いかけるのは自分から離れてしまうんじゃないのか…。
ってことは少し戻ると自発的な行動の中身は、刺激とは逆の感覚、無とか平穏があるのではないのかな。なんなら無意識かもしれないし、その時になってみないと分からないけど。
とにかく謎の食欲の波の中に私はいない。
あと、楽しい、という感覚についても考えてた。
究極の楽しい、を私はつい最近まで追い求めていた。それこそ大きな強い感情のうねりがやってきて、満たされるのだ、と。
でも違う気がしてる。
それはもう中毒をおこすようなただの刺激に過ぎない。
究極の楽しいは、自分が追い求めて行動した中にあって、意外と鈍い感じな気がしてる。
え。これ?って感じるんじゃないか。
もしくはすごく繊細。自分が求めてるから見えた、でも求めてなきゃ絶対見えなかった。みたいな。
すごく集中して生きないと掴めないのかもしれない。
わたし究極に楽しい、にたどり着けるのかな。わからない、でも追い求め続ける。
究極に楽しい、だけじゃないけど、なんか色んなことが日々見えない所に転がっている気がしてる。
そこにあるのにエンタメ的に強い刺激で満たそうとしてしまう。
耳をすまさなければ。