そういえば大学生の頃、とある気付きが確信に変わった事がある。
人付き合いは音楽と同じだ!!と。
一緒に連れてく、これだ!!と。
音楽には感情を揺さぶる力があり、その力は絶大で逃れられないことは、冷静に周囲を見ていても自分の感覚でも実証されていた。(音楽大学の学生だった。)
そんなに興味のなさそうな聞き手でも繰り返し聞かされると音の連なりの盛り上がりで‥‥「上がっている」。(過度な悪感情がない場合‥)
リズムにノッている。
仮に知名度の低い曲でも、歌い手や演奏者が明らかにノリノリで「絶対に楽しい!!」と、感じて歌っている箇所には聞き手も何かを感じる。
本人は無意識かもしれないけどその箇所がピックアップされている。
毛が逆立つように楽しい感覚がブワっと動員される感じを、その空間にいるみんなで感じる。
逆に知名度高くとってもいい曲のはずなのになーーーんにもどーーーーにも感じない事もある。
「おや?この曲もっといい曲だよね?」
それは演奏者、歌う人がノッてない時だったと思う。もちろん自分が歌うときも同じで、何も感じなくなるときがある。緊張、不安、自信のなさ、何処をどう歌うように気をつけるのかに意識が行っている時。
ただの記号と化しているのだと思う。
空気が止まっている。
「この曲のここの、この部分が、好きなんだ!!好きすぎるんだ!!楽しさが抑えられないよ!」
は、記号で説明できるものではなく空気みたいなもので、提供側も受け手側もその空気から逃れられない。
そして、ウソはバレる。
「楽しい私」じゃなく、「楽しそうな私」を見せつけちゃったり、見させられたりするともう閉店ガラガラ。
趣旨がまるで違うのでこれは要注意だ。
よくある、飲み会とかで空回りしてるパターンだと思う。本物が欲しいんだ!!本物もってこい!
そしてみんな一緒に連れてく上で絶対大事なのは当たり前だが独りよがりにならない、ことだ。
相手の具合を見ながら相手の波に乗りながら‥でもときに自分主体となって誘導する。
「私のこの歌い方!聞いて!押し付けてくよ!着いてきて!」ではなく「この曲はねぇ〜ここなんですよ、この音からのこの音!で、ドーン!たまらんですよね〜、どうです?え?めっちゃいい?で、しょう〜!」
声は音、話し方はリズム、長調の流れ、、うん、これぞ人付き合いに通ずる!!!
と気がついた学生時代から、私の人付き合い力は成長していない。むしろコロナ禍を経て退行した。
毎度本物を引き出すに至れない未熟さを噛み締めて生きている。
生きれば生きるほどに見えていなかったものが見えて来て、前述の通り「緊張」や「不安」や上手くやろう、ここをこうしようという「意識」が足を引っ張るのだ。野田。
近年の私は音楽が足りていないのかもしれない。