今朝から腹痛に苛まれている。ううう。
大方の女性が月に一度は苦しむであろう1週間の始まりなのである。
いつもなら、「あぁまた始まった‥頭もお腹も痛いし吐き気もするし浮腫むし、しんどいのだわ‥」と1人地獄のような気持ちになるのだが、今日は違った。
私、自分からしんどさに引っ張られに行ってるのでは?とふと布団の中で思い立った。
今日という日を構成してるのは、しんどさだけじゃないよね!と。
だって今日お休みなんだよ!と。
いや、しんどいはしんどいのだけど。
めちゃくちゃ痛いし出来うることならただたた全身の力を抜いて過ごしたい。
だけど逃れられないなら、「今あるものに目を向けたほうがメリット多くないか?」と思いついて、
何となく今日お休みだったことを感じてみて喜んだ。
そしたら気持ち的にいつもより楽になった。
今までこういう考え方はきれいごとっぽくて偽りのイメージというか、知らず知らずに「煩悩」こそありのままの人間の姿でしょって思っていた。
「そうは言ったって」が、合言葉。
そうは言ったってしんどいものはしんどい、と言ってしんどさに留まらせようとするじぶん。
けどまぁ、いいんじゃないだろか。きれい事。
きれい事に便乗させてもらっちゃって良い気分で居ようとするのも、それはそれで自分の姿だわと。うんうん。
その仮面をチョイスした自分もまた自分なんだって分かってれば。
実際気持ちの面で楽になったから、お腹痛くてもお買い物に行くという勇気も湧いたことだし。
こういうの何ていうんだっけ‥って道すがら考えていて、あっそうだ少欲知足(しょうよくちそく)じゃない?とぼんやり思った。
今あるもので満ち足りてるよね、みたいな考え方だった気がする。