「その人じゃないと」、「その人だからこそ側にいて欲しい」という想いを
もっと細かく解析していくと、
【どういう】その人だから、自分にとってかけがえのない存在なんか?
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もっと解析すると、
その人間から→自分へ、何がもたらされるんか?
というクエスチョンが浮かんでくる。
例えば「その人が笑顔になった瞬間が何より好き」なんだとしたらさ、
その時自分、どんな状態にあるんか?どう心が動いたか?という話で、
それは安心感?興奮?喜びに満ちている?
全ては「自分がどう感じているか?」なのだ。その感じたものをまた感じたいから
その人間を大切にしたりする。
寂しい考え方だろうか?ちょ、待って欲しい。
そもそも自分のものなんて元々この身と心だけじゃないか。
その人は自分の所有物ではない、視野を広げれば、ただ同じ地球に居た人にすぎない。
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話はそれるが、
一緒にいる時間が長くなってくると感情移入してっちゃうし、慣れとか当たり前感とか習慣で、自分と相手との分別がつかなくなっちゃったりして…。
だが忘れちゃいけない、別なのだ。なんなら、そういう安心感みたいなものを感じさせてくれることに感謝したいところなのだ。
そんで矛盾してるかもしれぬが、こういう想いを抱くのってたまでいいと思う。
普段はもっと二人にしか分からない時間を過ごしていたいと思う。
そこに、かえがたい楽しさ、を見出していたい。
何かと繋がっていたいという欲求は人類皆平等にあるらしいけど、
「繋がる」って表面的じゃなく深い所というか、淡々としたやり取りの中で
本当にチラッと相手との中に楽しさを感じるくらいなんだ。
あなたは大切だ、って相手にちょくちょく言われちゃうと、段々同じものを返さなきゃいけないような罪悪感が芽生えるかも。
それを嬉しく感じる時ももしやあるかもしれないが、私は厳しい。
そこで「私は今のところそうは思わない」と意志表明して関係性がどうなるか、だ。
全ては自分主体。
また、自分が楽しい時に、相手がどういう状態か見る目を養う必要がある。
教養、大事。
相手を置き去りにせず共に波に乗ってる状態になれたら、いいね!
いつでも綱渡りなんだ。
そうやって希望を持っていたいすね。